石田裕人の題名のない人生

感じたことを、ただつらづらと

言葉一つ一つ

 

どうも、石田です!

 
 
今年の四月から社会人となり、一人暮らしを始めたのですが、少しずつ生活にも慣れてきました!
 
 
社会人はつらい
 
 
社会人になる前からこの言葉はよく聞きましたし、
僕の友人からもこの言葉ってよく聞きます
 
 
じゃあ社会人って何が辛いんだろう?
 
 
実際に社会人を体験してみて、
やはり思ったのは人間関係自分の役割について中々実感しにくい
といったことがあるなとこの2ヶ月を過ごして感じました。
 
 
上司との関係の中で、「そんな言い方しなくてもいいのに」とか、
「なんか話しかけにくいな」という
 
 
そんな人間関係で悩む場面結構あると思うんです
 
 
いやはや、僕はそういう場面に遭遇したらめっぽう弱く、
中々一歩を踏み出せないタイプなんですねチーン
 
 
でも、こんなことを社会人として体験する中で
ふとアクトの活動について思い返すことがあったんです。
 
 
自分は今までアクトの代表として後輩達と過ごしてきたけど、
後輩達も自分に対して何か話しかけにくい、頼みにくい
といったことを抱いたことはないのか?
 
 
上のような感情って、仕事でも様々な活動においても良くないことで
 
 
社会人となり、久しぶりに人の下に付くということを体験して
改めて自分の代表としての姿はどうだったのだろうかと
振り返る機会を得ることができました。
 
 
そこで、一番気をつけなければいけないのが言葉
 
 
後輩への問いかけに対しても、目的をちゃんと説明してあげる
頼む時も、あなただから頼んでるんだよということをしっかり言ってあげる
 
 
こうした一つ一つの言葉選びだけでも、相手への伝わり方は違います
 
 
言葉は思考につながります
そして、思考が行動へと繋がります
 
 
言葉を意識して生活すること
 
 
改めて、そんな大切さを学びました。
 
 
 

 

寺子屋誕生ストーリー◉

 

 

その1~受験生編~

 

 

その2~塾アルバイト編~

 

 

その3~無料塾編~

 

 

その4~そうだ、京都&八王子へ行こう!編~

 

 

その5~挫折、そしてひたすらミーティング編~

 

 

その6~そして、学生団体アクト編~

 

 

 

大学生ボランティアスタッフもどしどし募集中!!!

リンクスタッフ参加希望の方はこちら←

 

ご寄付もお待ちしております!

リンクご寄付のお願い

 

Facebookページのいいね!もお願い致します(^^)

リンクFacebookページはこちら!

 



 

 

 

公式LINEアカウントを開設しました!

友達追加は↓のボタンから!!!

友だち追加

image

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

チャンドラボースの故郷その2〜インド15日目〜

 

どうも、石田です!

 

 

その1の続きです!

 

 

どうして日本軍は食料補給が困難になるかもしれないインパール作戦を断行したのでしょうか?

 

 

それは当時日中戦争をしていた日本にとっては「援蒋ルート」という補給路を断つことでした。

 

 

日中戦争が泥沼化していた日本は、逃げ回る中国政府に手立てがありませんでした。

 

 

そして、インドからビルマを通り、そして中国への補給路「援蒋ルート」を断つ作戦を決行したのです。

 

 

また、もう一つの意味で大東亜共栄圏を掲げる日本にとって、アジアを白人社会から解放するという目的達成の意義も込められていました。

 

 

そうした背景からインド国民軍の編成に伴って、ボースは日本でこのような演説をしています。

 

「約40年前に私がようやく小学校に通い始めた頃に、アジア民族である日本が世界の巨大な白人帝国ロシアと戦い大敗させた。

このニュースがインド全土に伝わると興奮の波が全土を覆った。インドのいたるところで旅順攻撃や奉天開戦や日本海海戦の勇壮な話によって湧き立った。インドの子供達は東郷元帥や乃木大将を慕った。

この度、日本はインドの仇敵であるイギリスに宣戦した。日本は我々インド人に対して独立のための千載一遇の機会を与えてくれた。我々はそれを自覚し心から感謝している。一度この機会を逃せば今後100年以上に渡って訪れることはないだろう。勝利は我々のものであり、インドが念願の独立を果たすことを確信している。」

 

 

そうして、チャンドラボース率いるインド国民軍にとっては「対英独立戦争」という位置付けとなるインパール作戦を日本軍は決行していくことになるのです。

 

 

結果は、無残にも多くの餓死による犠牲者を出してしまった日本軍でありましたが、後のインドの人たちはこのように日本について証言をしていくれています。

 

 

「インドは程なく独立する。その独立の契機を与えたのは共に戦ってくれた日本である。インドの独立は日本のお陰で30年早まった。インド国民はこれを深く肝に銘じている」(デサイ弁護団レッド・フォート裁判)

 

「インドは敢えてサンフランシスコ講和条約に参加しなかった。そして日本に対する賠償の権利を放棄した。これはインドが金銭要求より独立のために戦ってくれた“友情”に重きを置くからにほかならない」(ネルー首相)

 

「欧米諸国は、日本が侵略戦争を行ったということを歴史にとどめることによって、自分らのアジア侵略の正当性を誇示すると同時に、日本の17年間の一切を、罪悪と烙印することが目的であったに違いない。
私は1928年から1945年までの17年間の歴史を2年7カ月かけて調べた。
この中には、おそらく日本人の知らなかった問題もある。
それを、私は判決文のなかに綴った。
その私の歴史を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であることがわかるはずだ。
それなのに、あなたがたは自分等の子弟に「日本は犯罪を犯した」「日本は侵略の暴挙をした」と教えている。
満州事変から大東亜戦争にいたる真実の歴史を、どうか私の判決文を通して十分研究していただきたい。
日本の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って卑屈、荒廃に流されて行くのを私は平然として見過ごすわけにはゆかない。
彼らの宣伝を払拭せよ。
誤った歴史は、書き換えなければならない。」(パール判事 インド極東国際軍事裁判

image

 

 

僕は決して、戦争を美化し、それをやることが良いとは思っていません。

しかし、当時の世界情勢を鑑みて、日本がどうしてあのような行動をとってしまったのか。

そして世界がどのような視点からあの戦争に対して日本を評価しているか。

 

 

少なからず、インドという国は先の大戦に対してこのような視点を持っている。

それを知っているだけでも、今後の日本が世界に対して誰をパートナーに選び、協力して平和を目指していくか。

 

 

その考えるヒントになるかもしれませんね。

チャンドラボースの故郷その1〜インド15日目〜

どうも、石田です!

 

 

今日はコルカタ2日目

 

以前のブログにも書いたチャンドラボースについてボースの生まれたこのコルカタの地で今回またブログを書いていきたいと思います。

以前のブログリンクインドの青年たちと語る夜〜インド5日目〜

 

 

チャンドラボース

 

 

このコルカタにある空港の名前は「ネータージー・スバース・チャンドラ・ボース国際空港」で、皆さんもご存知チャンドラボースの名前が空港の名前の由来になっているんです!

 

 

ちなみにデリーの空港名は「インディラ・ガンディー国際空港」

 

 

インドではガンディーは独立の父、ボースは英雄と言われることが多いんです!

 

さて、空港の名前にまでなってしまう、チャンドラボースといった人間は一体どんな人なんでしょうか?

 

 

チャンドラボースは、英植民地時代のインドのコルカタに生まれ、後にインド国民軍を指揮します。

 

 

ガンディーは「非暴力・非不服従で英国に対して抗ったのに対して、チャンドラボースは「実力」で英国に対抗したのです。

 

 

そんなチャンドラは英国に当時の日本軍の手を借りてインド国民軍を編成します。

 

 

そして、悲惨な戦いであったインパール作戦へと日本軍と共に進んでいくのです。

 

 

食糧を十分に確保できない可能性があると知りながらも、チャンドラボースと共にインパール作戦を断行した日本軍はどんな意図があったのでしょうか?

 

 

その2に続く

まだまだ脆弱なインフラ〜インド14日目〜

どうも、石田です!

 

インド最後の土地、コルカタに無事到着しました!

 

そして、インドに2週間いて初めて雨に降られました!

 

 

もう強い雨が降ったり止んだりで、今日はホステルにずっと引きこもりです

 

 

でもせっかくインドに来たのだから食事くらいは外で食べたい

 

 

なので、雨の止む隙を狙ってご飯を食べに出かけます

 

 

そんな時にハプニングに襲われます。

 

 

どこを行っても道路が冠水してるんです!

 

 

しかし、インド人は靴を脱ぎ平気な顔をして渡ります。

 

 

お前は渡らないのか?という顔でインド人が僕の顔を見てきますが

 

いやいやいや、無理でしょ滝汗

 

 

今回のこの事件で改めて思い知らされたのが、インドのインフラの脆弱さ

 

 

インドに来て、前回はゴミの問題について書きましたが、インフラもまだまだ十分ではありません

 

 

信号機がない、道路はガタガタ、それによる大渋滞

 

 

他にも下水、電気、鉄道といったものも先進国に比べたら全く不十分

 

 

ちなみに下水に関しては、結構トイレの臭いが街の至る所でします笑

 

 

僕の肌感覚だと、インフラに関しては東南アジアより劣っています。

 

 

人口の規模も大きくマンパワーがあるインド

 

 

改善の余地があるからこそ、期待はまだまだできますが

 

 

インド人の性格も合わせて、後どれくらいで十分なインフラが整備されるのか

 

 

気になるところですね

 

 

ゴミについて考える〜インド13日目〜

どうも、石田です!

 

 

仏教の聖地ブッダガヤを今夜離れるわけですが

 

 

。。。

 

 

 

やることがない!

 

 

そんなわけで、目的も決めずただプラプラと街を歩き回りました。

 

ブッダガヤは自然あふれる静かな街で、散歩していても気持ちが良い!!!(暑さを除いてね滝汗

 

 

そんなブッダガヤでも、道端には至る所にゴミが溢れます。

 

インドはITをはじめとして急速な発展を遂げている国です。

 

 

しかし、そんな華やかな部分とは裏腹に、こうした環境の問題も残っているのです。

 

 

彼らの暮らしを見ると、未熟なインフラを改善してもっと快適な暮らしを送ってほしい。

 

 

そのためには経済発展が必要なのですが、今の現代社会は大量生産大量消費の社会

 

 

彼らのこうした行動を変えていくことを同時にしていかなければ、結局は土地を腐敗させ、ただ経済発展してしまうだけの国になりかねない

 

 

こうした問題は教育から変えていくべきなのか?

 

 

途上国を歩く度に、経済発展とは何なのか

 

 

考えさせられます。

仏教の聖地〜12日目〜

どうも、石田です!

 

 

7時間の電車を待ち、無事ブッダガヤに朝到着しました!

 

 

バラナシはヒンドゥー教の聖地でありましたが

 

 

今回のここブッダガヤは仏教の聖地なんです!

 

 

現在のネパールであるルンビニーの王様の息子として生まれたブッダは若くして結婚をし、家族を持ちますが

 

 

悟りの旅に出ます

 

 

そこで、ブッダが悟りを7週間かけて開く菩提樹に出会ったのがここブッダガヤでした。

 

日本の仏教は日本独自のものに変容し、今の形をとりますが

 

 

仏教というだけあって、何かシンパシーみたいなものを感じます。

 

 

タイの時も感じたのですが、同じTempleでも日本のものと海外のものは結構違います。

 

 

インドやタイのものは豪華絢爛といいますか、金などが使われていることが多く

 

 

日本の木造のお寺は、自然あふれる日本だからこそできたものなのかなあと思いました。

 

 

歴史を調べれば、その辺りも神道との関係がありそうなので、調べがいがありますね^^

 

 

インドの中でもとっても落ち着いている仏教の聖地ブッダガヤはオススメです!

宗教と価値観〜インド11日目〜

どうも、代表の石田です!

 

 

インド11日目の今日は夕方の列車で次の都市ブッダガヤに行くつもりでしたが、なんと列車7時間遅れ

 

 

ブッダガヤにおそらく到着するのは深夜3時ごろ

※さらに遅れて結局着いたのは朝の6時でした笑笑

 

そこから約15キロほどをリキシャーを乗っていかなければいけないので

 

 

まじか、、、となっています笑

 

 

7時間待っていても暇なので今日の出来事を書きます。

 

 

今日の朝はガンガーにて日の出をまた眺めながらスタート

 

 

ボートには乗らず、川岸で客が捕まらず暇そうなインド人とお喋りしていました。

 

{533C52FA-C5D3-49B0-8B95-85CBA3B38AC1}

 

なんかいっぱい寄ってきました笑

 

 

 

 

インド人は日本人と韓国人、中国人を目の形で見分けることができるみたいで、ベトナム人もジャンル的にはこっちに入るみたい

 

 

確かに、ベトナムの民族は歴史的にも中国と関わりが深いですもんね

 

 

そんな朝を過ごし、6時半ごろにホステルに戻ると日本人の女性に会います。

 

{91585AA0-254A-4CAF-A041-0454C3AD41C7}

 

 

 

 

 

 

 

彼女は昨日から泊まっていて、看護師を5年勤めた後、仕事に疲れた反動で海外に飛び出し2年目の今インドを旅してるみたいです。

 

 

彼女、凄いのがなんか多感というか考えは広いし深いし話していてもついていくのが必死笑

 

 

旅の話から始まり、何故か日本の教育問題、ひいては世界情勢について話が飛躍します笑

 

 

彼女はインドを旅している間にマザーハウスや、現地NGOでボランティアをしていたみたいで

 

 

そこでの価値観のぶつかり合いについての話を聞きました。

 

 

どう考えても非合理的なことでも、現地の人はその価値観を曲げようとしません。

 

 

そのバックグラウンドには宗教の価値観があり、そう簡単に折れません。

 

 

全てを柔軟に取り入れることができた日本人な一つに神道の価値観がそれを可能にしたと僕は考えているんです。

 

 

彼らの宗教を過小評価するわけではありませんが、宗教をバックグラウンドとした価値観を厳格に守ろうとすればするほど、彼らの成長は伸びないと思うんです。

(成長が全てではないと言われればそれまでですが、、、)

 

 

宗教をバックグラウンドとした価値観が強い海外において、日本人はどう彼らと付き合い、より良い方向に向かうことができるか

 

 

神道をバックボーンとした価値観を持つ日本人にはあまりわからない、宗教と価値観の違いについて考えさせられる日となりました。