チャンドラボースの故郷その1〜インド15日目〜
どうも、石田です!
今日はコルカタ2日目
以前のブログにも書いたチャンドラボースについてボースの生まれたこのコルカタの地で今回またブログを書いていきたいと思います。
以前のブログインドの青年たちと語る夜〜インド5日目〜
チャンドラボース
このコルカタにある空港の名前は「ネータージー・スバース・チャンドラ・ボース国際空港」で、皆さんもご存知チャンドラボースの名前が空港の名前の由来になっているんです!
ちなみにデリーの空港名は「インディラ・ガンディー国際空港」
インドではガンディーは独立の父、ボースは英雄と言われることが多いんです!
さて、空港の名前にまでなってしまう、チャンドラボースといった人間は一体どんな人なんでしょうか?
チャンドラボースは、英植民地時代のインドのコルカタに生まれ、後にインド国民軍を指揮します。
ガンディーは「非暴力・非不服従」で英国に対して抗ったのに対して、チャンドラボースは「実力」で英国に対抗したのです。
そんなチャンドラは英国に当時の日本軍の手を借りてインド国民軍を編成します。
そして、悲惨な戦いであった「インパール作戦」へと日本軍と共に進んでいくのです。
食糧を十分に確保できない可能性があると知りながらも、チャンドラボースと共にインパール作戦を断行した日本軍はどんな意図があったのでしょうか?
その2に続く